おんぶの文化

「おんぶの文化」という記事をみました。
http://www.kanshin.com/keyword-118138
スキンシップのこと、子どもの背筋が伸びることなどが書かれていました。
ほかの本によると、小さい子をおんぶするという習慣は、アジア、アフリカ、太平洋、アメリカインディアンなど世界中にあるのですが、ヨーロッパ人にだけなかったそうです。
戦後、欧米人へのコンプレックスのせいか、おんぶは子どもの胸やおなかを圧迫して良くないとか、足が曲がって伸びなくなるとか言われ、おんぶはすたれてしまったのですが、最近自閉症の子が増えてスキンシップが足りなかったのではといわれて少し復活してきたそうです。

おんぶおばけというアニメもありましたが、おんぶおばけは民話に伝わった妖怪の一つでもあり、行き倒れになった人の霊をまつった道祖神の一種だという人もあります。神様みたいなものなので、敬意ははらっていたわけです・
自立しない迷惑な子どもの意味で「おんぶおばけ」という言葉が使われることもありますが、戦後のおんぶに対する価値観の変化のためなのでしょう。

『中世の愛と従属』(保立道久著) という本の中に、絵巻に描かれた大人どうしのおんぶについての意味を考察した一章があります。
3つの組み合わせがあって、1つは、男が乞食をおんぶしたら、乞食は仏様の化身だったという絵。2つめは、本当に困った人を仏様や修行僧がおんぶしてくれる絵。おんぶによって通い合う信仰というのがあったのだろうと思いました。

3つめは男が女をおんぶする絵。夫婦関係にある男女だろうといいます。それはやはり両脚を広げて下腹部や胸を男の背中に密着させるわけですから、知らないどうしの男女にはできないことでしょう。
中世では女のお尻の下に棒や守り刀を横に渡して、男はその棒の両端を持って背負ったという話です。著者は自分でやってみたが慣れないと難しいと書かれていました。おんぶされる身で考えてみますと、大人で重たいですから、素手のままではお尻がどんどん下がってしまい、両手で相手の首にしがみつくので、しがみつかれれば首が苦しくなるでしょう。お尻を支えるものがあったほうが良いと思います。
守り刀とはいつも夫婦の寝室に置いておいて、女一人のときもいろんなものから守ってくれたものだそうです。けれど寝室が持てたのは自作農以上の人たちだけではありますが。

「同性」どうしのおんぶもあったのでしょうが、この本には取り上げられていません。戦場で負傷した武士をおんぶする場合、同性愛の関係でなくてもおんぶしたかもしれないし、おんぶがきっかけでそういう関係になることもあったかも?
稚児やそれに近い人は女性の扱いだったと思いますが、稚児は仏の化身でもありますから、おんぶする側になることもあったかも? 想像ですけど。

 ♪夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か
  ……懐かしい歌ですね

細く見えるポーズ

この写真。ほんとうはどんなポーズをとろうか迷っているうちにセルフのシャッターがおりてしまって撮れた写真なのです。
でもなんとなく細く見えるというか、左の腕で隠れたぶんだけ細っそり見えます。
ゆったりめの袖で、ひじをウエストに押しつけるのも細く見えたのですが、こういうのもありなんですね。腕を前に上げるときは肩は後ろに引きぎみにしないと背中が広がってしまうので要注意かも。

鳩子の書いた物語と詩

エッセイ風に書くときは、他のトランスさんのページなどを見てヒントをもらうこともたまにあります。
詩や物語はどうかというと……、そういうことは全くないです。
HPに載せた『星のイヤリング』はSFの形式になりました。童話とかそういうふうにしか書けないと思います。

詩については、トランス系の人で詩を載せてるページは、見つけたものはたいてい読みました。短歌を書いてた人、名前は忘れましたが、けっこう良い作品でした。でもほかに見た範囲では、リアリズムで私小説ふうのものが多いみたいです。
普通の私小説ならフィクションを入れたりできるんでしょうけど、こういうテーマではそれはできないと思いますし、どうしても男をひきずってしまいそうです。
「パス度」の問題にしてもそれが量的なもので常に努力を怠らず上昇して行かなければならないものと考えてしまうと、たいへんです。一直線の道というのは、最初のものと切れていないんですね。やっぱり男をひきずってしまいそうで……。

そういうわけで鳩子の詩は、女へのトランスではなく、女状態から起った空想や回想の世界へトランスしてゆくことから始まるといったら良いのでしょうか。回想の中に少年が登場することもありますでも、違う書き方もしてみたいですね。

当世SM事情2

最近SM希望の男性からメールなどいただくことがあります。
鳩子はそういう方面にはとくに興味はないのですが、どちらかといえばSなのでしょう。メールの人はみなさんSだとおっしゃるので、その点も合わないわけです。
そのようなメールなのですが、文章を読んでいて何かリアリティが感じられないのは、(中略)バーチャルでメールだけの世界を楽しんでいらっしゃるのかもしれません。

私の知識では、男性一般はM指向がとても強い存在です。観念的な傾向も強いのですが、最近のバーチャルというのとも違います。たぶんそれは、ルール好きが昂じて自分をかんじがらめに縛りたいのだと思います。ゲーム好きもルールが好きということなのかも。

トランスの世界では「女装(じよそう)マゾ」という嗜好があって、かなりの数があるそうなのですが、どうもそれは必ずしも男性性が残っているためだけでもないようなのです。
雨庭みどりさんのページを見たら、面白い話が載ってました。ある「女装マゾ志望」の人の書き込みに、ロープで云々とか、ああしてほしい、こうしてほしいという希望が、たくさんの項目にわたってこと細かく述べられていて、わがままばかりで、S的な傾向もあるのかしらとか、そんな話。SとMは究極には近似的なものだという人の話も聞いたことがあります。
けれど私の「どちらかというとS」というのはそういう傾向とは違いますし、究極は同じだというのもよく理解できません。

もう一度行ってみたい場所


たとえば13年前に1本のフィルムに収めた写真の場所。
あの時たどった場所と同じところを歩いてみたい。

そしてあのときと同じ場所にカメラの三脚を立てて、
同じ場所に今の私が立つ。

年とともに景色は移ろい、年を重ねた自分がいる。

景色はすっかり変わってしまったのに、
取り残されたように変わってない私がいたとしたら……、
(都会ではよくあることですけど……)

それとも景色は変らないのに、変わってしまった私がいたら……
ちょっとこわいけど、ありそうなことですね。
少なくともふくよかになったほっぺで微笑むことにしましょう。

ホームページと詩作 その1

鳩子のホームページは以前は写真ページが一番アクセスが多かったのですが、最近は読み物ページへのアクセスが多くなっているようです。
とにかく読み物のページは需要があるということなのでしょう。

鳩子の関連のホームページは、薬物や心理療法や法制度に即すことによるのではない心の安定を求めて行くのがテーマです。それを求めながら過去の歴史をさまよって迷子になりそうなときもありますが、がんばってゆきましょう。

最近ホームページでアクセスの低いページが「詩集」です。新作がまったくないのが原因かもしれません。新作をアップしないといけませんね。
鳩子の詩作法について書こうと思いましたが次回にします。<(_._)>

13年前の写真

13年前の写真。
逆光だったので、できあがったプリントを見たら、顔が真っ暗で誰の写真かもよくわからないくらいでした。

5〜6年前にネガからスキャナして保存しておいた画像ファイルがあったので、今のデジカメに付いてた画像ソフトで「露出」の調整をしてみたのです。
そしたら、ご覧のように顔が明るく見えるようになりました。
あのときの私ってこういう表情をしてたんだなって、今になって初めてわかったのです。
とても不思議な気分。

何年かして、もっといいソフトができたら、もっとクリアなあのときの私に再会できることもあるのでしょうか……

ブログでヒヤッとした話

先月下旬からホームページの古い日記を「Hatopia鳩子ロマンス」というタイトルでブログ風に整理していました。
読んでて話が飛びすぎてわかりにくいところとか、書き直したところもあります。そんなことをしたからといって、以前に読んでくれた人でもう一度読んでくれる人はほとんどいないでしょうけど……。

いつもは、ない知恵をしぼって眠いのをがまんして書いて、書き終ったとたん眠気が襲ってくるので、あまり見直さないでアップしてしまいます。申し訳ありません。

古い日記のパソコン関係の記事は自分で読んでも何を書いたのかよくわからないものがあって、かなり削除。そのかわりに、よその掲示板への投稿から原稿の残っていたもので穴埋めしたりです。
その投稿原稿というのが、思ったより使えるものが少なかったのです。けっこう一生懸命書いたと思ってたのですけど……。添付写真の撮影場所を書いたのもあって、そういうのをずらっと並べたら、これは一種のプライバシーの公開になってしまうなという感じで、ヒヤッとしました。

人のブログを見ていると、ここまで書いていいのかなと心配になることがあります。その人の立場によっては書いてもかまわないのでしょう。でも、そうでない人がそういうのを見ているうちに、なんとなくブログとはそういうふうに書くものなんだろうと無意識に真似してしまうと、あとでヒヤッとすることになるかも。

| top |