至福の「家族」

 日本にキリシタン宣教師が来るようになって、何十年もたたない時代の話です。当時の宣教師の日記によると、日本の娘たちは非常な慈悲深い態度で村の何人もの若者たちを迎え入れたといいます。宣教師の立場からみても、娘たちの態度は決してみだらなものではなく、深い慈愛に満ちたものだったと記録しています。また諸国を修行している僧が村を訪れたとき、その僧が村にとって幸運をもたらす存在であるなら、宿を貸すことになった家のあるじは、その夜、よろこんで妻を差し出したという話も多いのです。子のない夫婦が有名なお寺に何日もこもってようやく子を授かったという奇瑞の話や、村祭りの夜の話、村で生まれた子は、村の子であって、それ以上でもそれ以下でもなかったのでしょう。家族という意識は薄かったのです。継母と継子の物語は数多くありましたが、父の存在に疑い悩む子の小説が作られるのはもっとずっと後の時代の話です。村という狭い範囲での平和な生活は、そのようなけがれなき慈愛に満ちた女性たちが中心になっていたのでしょう。
 少なくとも父系的な家族制度は明治時代からのものです。明治になって納税主体が、村単位から家族単位になり、物納でなく金銭になったのも、新しい家族制度のきっかけの一つかもしれません。家の格差がお金で決まるようになり、庶民が初めて「家」を意識したのはそのときだったかもしれません。村の若者組もいつのまにか国家の軍事組織の下にくみこまれて、従来の村社会とは、否定的なもの、古い役に立たないものの温床のような宣伝が始まりました。慈愛に満ちた娘たちも、村の枠を越え、長者を夢見て、からゆきさんと呼ばれるようになったころは悲劇の一歩手前だったのでしょう。
 お金のことは、わたしたちでも自制できますが、村の枠を越えるなということは不可能なことになりました。でも過去の時代の至福の生活は、幻想ではなかったわけですから、今の時代のどこかにも似たような瞬間があるのかもしれませんし……。

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