似顔絵のこと

9月4日
ある人の似顔絵を見たことがあります。とても綺麗に描けた絵でした。でも彼女を知らない人が初めてその絵を見たら、ただの女性の絵としか見ないでしょう。絵でなくて写真だったら、たいていの人は「どこからどう見ても女の子にしか見えないよ〜」と感動すると思います。
昨年「手塚治虫ノート」をまとめるとき手塚治虫のインタビュー記事を読みました。彼が言うには「ボクの絵は記号なんだ」そうです。少年が女装をするとからだつきまで女の子になってしまうような絵についての弁解の発言だったと思います。昔の少年漫画では、男の子も女の子も同じ顔で、髪を伸ばしてまつ毛をチョンチョンと描けば女の子の顔になりました。漫画家の絵の能力の問題というより、絵そのものにそういうところがあります。
むかし「くいーん」という雑誌の小説の挿し絵を見たら、顔は昔の少女雑誌から出てきたような女の子の顔で、からだはやせ型の青年でした。顔もからだも中性的というような絵を描くには相当な描写力が要求されることでしょう。そうやって顔とからだがアンバランスな挿し絵のスタイルができあがると、その類型的なイメージが小説の内容にまで影響してくることもあったかもしれませんが、読んだことないのでなんとも言えません。顔は厚くメイクをほどこせば、たいていの人は女性的に見えますから、そういう事実を戯画化したものがあの挿し絵だったのかもしれません(ああいう絵になったときは失礼ながら戯画化としかいいようがないものがあります)。
で、結局、絵で表現することの難しさですよね。お化粧というのは絵を描くようなもので、その描かれたものを、もう一回絵に描くというのは大変なことです。お芝居の中の劇中劇というのはたいていカリカチュアライズされてしまいますし……。

詩集に「夜の長い日時計」をアップ

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