古代史いろいろ

 平安時代に、刑罰を受ける者も執行する者も、どちらも女装のようないでたちだったらしいのですが、執行する側はともかく、罪人のほうは、その女装は古代の中国にあった去勢の刑と関係するのかと一瞬思ったのですが、よくわかりませんし、たぶん関係ないでしょう。日本では刑罰としての去勢というのはなかったようです。
 「バルバロイ」というサイトの説明では、古代の西アジアかエジプト方面では、戦いに勝った王は、負けた王を去勢してその陽物を食したとのことです。それを通して旧王の政治・軍事・その他の支配力を継承するのが目的らしいです。力を弱めるという意味での女性化=被支配といった父性原理的な考え方はまだなかった時代の話です。力を削ぐといったマイナス要因で見るのでなく、何かの新しい再生のしるしという意識です。
 日本で刑を執行する担当官は美しい女装のほかに容姿も美青年でなければならなかったらしいです。松田修によれば、罪人といえど同じ人間であり、刑の執行は仲間を売り渡すような拭いきれない犯罪以上の後ろめたさの伴うものだからで、そのための贖ないの行為としての女装なのだそうですが、やっぱり罪人から何かを継承するからなんでしょうか? 熊襲タケルが罪人なら、征伐するヤマトヲグナも女装の美少年でなければならないわけで、タケルという名も継承するわけです。ともかく古代では、私利私欲による罪というのはありえず、罪人はすべて政治犯、あるいは単に敗れた者のことだったでしょうから、罰するほうは大変です。贖ないの女装というのは、神としての罪人の女装から何かを継承することによって、かろうじて贖ないが成立できたのかも。ところで日本の古代史で処刑された皇子たちが最後に女装をしていたことは間違いないのでしょう。

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