10月の終わり 

10月も終りです。
詩集に「思い出の少年」をアップ
けっこう苦労して書いてます。見てくれる人がいるといいですね。

熟年離婚

 夫が定年を迎えたとき、突然妻が離婚を言い出します。「私はこれまでずっと好きなこともしないで我慢して来ました。これからの人生はもっと自由に、したいことをして生きたい」 妻はそう言って、夫の退職金の半分を手にしてアパートを借りました。そのときの彼女の年齢は夫よりも若く、まだ50代の後半にさしかかったばかり……。
 こういう話を聞いたとき、あたしは以前は男性に同情的だったのです。でも今は少し違います。50代半ばになったら一人で自由な暮しができたらいいな……、そう思います。でもまだ20年?も先のことですけど(あたしの計算に間違いがなければです ^^; よく間違いますけどね)

森の中のかくれんぼ 


 そういう歌があったような……。
 ここんとこリンクのお友だちのHPでなんとなく低調のようなところがいくつか……。今年リンクした人でもHPを始めたのは去年という人も多いようで……。そのくらいの期間が過ぎると更新もぱったり少なくなって……というパターンも多いとか。かくいう鳩子も始めたのは去年からで、この半年はDiaryとアルバム以外の新しいページはあまり増えてないようです。月が替わって11月からがんばりましょう

運動会のショートパンツ 

 運動会はもう終わったところも多いことでしょう。
 以前は都市部の少年たちは冬でも半ズボンをはいて過ごしましたが、地方などでは10月1日の「衣更え」の日から長ズボンで小学校に登校していました。学校以外でもだんだん長ズボンの生活になってゆきました。
 でも10月中ごろの運動会はショートパンツになります。体育の時間も10月中は白いショートパンツだったと思います。運動は苦手なあたしですが、なぜかショートパンツになれるのは好きでした。体育の1時間だけとは違って、運動会の1日をショートパンツですごすのは、うれしい半面、その日の天候によっては寒く感じるときもありました。

秋冷の候

 秋冷の候というか、だんだん厚着をしなければならない季節になってゆくのでしょう。小学生のころのあたしは、寒い時期に女の子のかっこうをした記憶があまりないかもしれません。中学生になると自分の部屋もできたので、少しは記憶があるのですが、それほど頻繁なものでもなかったように思います。一人暮しの学生時代は、タイツとか買って来て、ガスストーブを付けてあたってみたりしましたが、結局ふとんの中にもぐりこんでしまって、とにかくあまり好きな季節でないことは確かです。学校も終わって車を持てるようになってからは、車中ではオーバーやコートはいらないので、冬場もいやではなくなりました。車はやっぱり便利です。着替えもできます。ゆったりしたセーターを着て、袖から腕だけ抜いて、セーターの中でゴソゴソ着替えるなんて、しょっちゅうやってます。
 スクラップブック〜に、春王・安王・永寿王、後花園天皇、井筒女之介の3項を追加。表紙の紅葉の写真は古いものだったので去年の写真に変更。

婦人服サイズ表

今年買ったこの写真のスカートはウエストがゴムでした(最近多いです **ゞ)
そこで婦人服サイズのおさらいです。

婦人服サイズ表(単位; cm)
呼び方  S   M   L    LL  
バスト  72〜80 79〜87 86〜 94 93〜101
ウエスト 58〜64 64〜70 69〜 77 77〜 85
ヒップ  82〜90 87〜95 92〜100 97〜105
身長   ・・・・・・154〜162・・・・・・
--- 日本工業規格 JIS L 4005 1997年版より ---

「〜」の範囲が微妙ですが、バストはその範囲の中ほど、ウエストとヒップは範囲の細めの数字をとれば、7号(S)、9号(M)、11号(L)、13号(LL)ということになります。太目の数字をとればミセスサイズということでしょうか?。
9号はとても無理だということを思い知らされる一覧表です。UB78でCカップならB93で13号(LL)のエリアに入りかねません。
 数字がたくさん並べてありますが、サイズ選びはアンダーバストを基準に、65=7号、70=9号、75=11号、80=13号と選ぶのが間違いないと思います(極端にバストの大きい女性でなければ)。UB78ならもう13号の領域なのでしょう

新潟県大地震

 新潟県で大きい地震のニュースがありました。関東でも今まで経験しなかったような大きな揺れが数度ありました。被災地では皆眠れぬ夜を過ごしていることでしょう。
 何か書こうと思ったけど、別の日にします。
 お昼ごろ表紙を紅葉の写真に更新しました。

追記 ウェブログ
 ウェブログというのが流行っているみたいです。9月からのこのDiaryのデザインはウェブログ風にしてみたのです。
 フリーのCGIはないかと探したのですが、CGIではなくPHPとかいうもので、infoseekでは使えませんでした。AAAcafeでは広告は大きいけれど使えるという話を聞き、実は内緒で借りてたのでさっそくアップしてみたのがtest2です。
 以前からテストしていたshiromukuのdiary(CGI)のデザインをかなりいじってみたのがtest1です。アンチークな落ち着いたデザインに仕上りました。
 これまでのDiaryの内容を分類すると、昔の思い出、伝説コレクション、パソコン、その他、というふうになりますが、同じ分類だけをずらっと表示できたらいいでしょうね。

『土佐日記』

 「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」
 平安時代に書かれた紀貫之の『土佐日記』の冒頭の部分です。男が書くという日記を、女が書いてもいいのではないか、でも女が書くからには女の文字や言葉で書きたい、という意味なのですが、それを書いた人は紀貫之という男性なのです。
 時代は唐風文化を真似るより日本独自の文化を作り出そうというときでした。男が書く文字は漢文と決まっていた時代でしたが、女が使う文字として作られたひらがなが普及していったころでもありました。そのひらがなで書くということは、言葉だけでなく女そのものを装おうことになり、別人格の女性の視点から、自分自身を「ある人」と呼び、そうやって何か新しい世界が見えたことでしょう。

笑ってごまかしました

やっぱり毎日の日誌は大変ですよね。10/15の美紀さんBBS書込から。


笑ってごまかしました ^^; 名前: 鳩子 [2004/10/15,23:31:20] No.304

先日はリンクをありがとうございます。
紅葉の背景になってましたので、こんな写真の投稿です。

声のについてのページを読ませていただきました。
声の質よりも身振りや話し方のほうが大事で発音もはっきりと、というお話に納得しました。
女性として違和感はあっても、人間として嫌悪感を持たれたら最悪ということですよね。

あたしはパートタイムで郊外の散歩などを楽しんでいますが、先日あるおじさんに「そっちへ行くと○○だよ」と声を掛けられました。
親切で教えてもらったのに、顔を見られないようにそっぽを向いて、逃げるように立ち去ったら印象が悪いだろうなと思いました。
けっきょく笑顔を作って、ぺこぺこ何度も頭を下げて、声は出さずに通りすぎました。おじさんも少しだけニコっと笑ってくれました。
家へ帰って鏡の前で、こういうお辞儀のしかたで良かったかなと反省のチェックもしましたが、まあまあ及第点だったでしょうか。

本格的な方法よりも?

 アメリカの人からメールが来たとき、翻訳プログラムにかけてみたら、あたしのホームページのことを「本格的な方法よりもずっと魅力的」というような日本語文が表示されたことがあります。本格的とは何のことかしらと、元の英文を見たら「ハードコア」だったので、これなら英語のままのほうがよく解ります。
 彼らのほめかたは、客観的に比較したり、見たままの事実をオーバーに表現したりすることが多いような気がします。日本人の場合は、自己の感じた内面描写がメインになって、よく言えば叙情的、でもある程度の文才がないと、どこかで聞いたような言葉ばかりということになりますが、文化の違いなのでしょうか。

 右の写真は以前、鳩子の別室の「思い出のアルバム」に載せてたものでした。

クリシュナ

 インドの美青年の神・クリシュナが最も愛した女性は、ラーダーという羊飼の娘といわれます。一説によると、ラーダーにはアヤナゴーシャという夫があったとか。そこでクリシュナは女神の姿に身を変えて逢いに行ったそうです。
 右の絵は1820年頃描かれたもので、ヤムナー河畔を散歩する二人ですが、「衣服を取り換えている」という説明があります。(レイチェル・ストーム『世界の神話百科・東洋編』原書房より)

変成女子二件

江戸の実相坊という学僧が、信州のある家に何日か宿をとったとき、思いがけない熱病にかかり、ようやく回復して行水をしてみたら「男根落ちて女根となる」。それ以来、学問のことは忘れてただの凡人となり、酒屋の妻となったという。
 上州藤岡から秩父へ経帷子(きょうかたびら)を行商する僧が、山家のとある酒屋を訪れてみると、以前一緒に旅した僧によく似た女房がいた。顔を隠そうとする女房に、僧が「私の知る僧の姉妹であろうか」と尋ねると、涙を流して奥へ行ってしまった。次に酒屋に寄って再び尋ねたとき、女房は、姉妹ではなく本人であり、病気にかかったときに男のものが落ちて、かくなる次第という。寛永年間の話。
 『因果物語』下。( 10/4 と同じ本から)

トランスジェンダーの墓

鳩子の肉体が滅んだとき、鳩子の魂はどこへ行くんだろうと思うことがあります。「鳩子」の名前のお墓はできないでしょうから、お墓参りする人もいないわけです。
化けて出ようにも、今の世の中を作った張本人が誰なのかもわかりません。

こんなあたしでも短い期間ですが今まで女性として愛してくれた男性もいたかもしれません。彼らは老年になったとき今まで交際した女性たちとともに、鳩子のことも思い出してくれるのではないかと思います。それは一つの救いでしょうね。
天国に行ったら本当の女の子になれるなんていう話は信じられません(ごめんなさい)。

でも無名戦士の墓のように、みんなまとめてでいいから、ある一つの場所で誰かに小さな花を添えてもらえたらいいかもしれませんね。
だから普段お寺にお参りしたときは無名の人たちのことをお祈りしてあげたほうがいいのかも。

旧題『無名戦士の墓』

好きな季節は夏

 鳩子のいちばん好きな季節は……、やっぱり夏。理由は日が長いから。
 だから秋になるとちょっぴりおセンチになることもあります。
 日が長いというのは、夕方5時から自由な時間になったとき、夏なら7時すぎまで明るいので、2時間はたっぷり鳩子の時間がとれるからです。冬ならもう5時で真っ暗。
 好きな時間帯は、やっぱり夕暮どき。
 刻一刻光が衰えて行く中で、影も形も移ろいで行って、いろんなものがちょっと目をそらしてる間に違って見えたり、そういうときって写真もいいのがいっぱい撮れます。夕方が好きなのは朝寝坊なこともありますけど^^;

重心はお尻という話

 ある本に狂言師・野村萬斎インタビュー(『週間朝日』1999年3月19日号)が引用されていました。最近Diaryに書いたいくつかのことを補足してくれるような話なので紹介します。

 野村 このあいだ、朝日新聞に古武道の記事が載ってましたけど、西洋のスポーツは基本的にねじりの構造で、右足が前に出ると左手が前に出る。古武道やわれわれは、(空手のようにグッと腰を落とし、右手と右足を同時に前に出して)こう、同じ方向に動かすわけですね。
 野付 重心のありどころが決まってるから、ふだん立つと、出っ尻ふうというか、(お尻を突き出して)こう、お尻を非常に強調した立ち方になってしまうんですね。能楽師、能狂言に携わる人の立ち方は共通していて、なんとなくトリっぽい。

 「重心のありどころ」というのが小笠原流でいう「腰が本なり」ということなのでしょう。狂言師の場合は滑稽さを強調するためにオーバーになってはいるのですが、こういうお尻を強調したように見える立ち方や動作は、江戸時代までは男女共通の普通のことだったのでしょう。
 昔の絵巻を見ると、平民はみな狂言師のような立ち方をしています。上体を前に傾けて立っていますが今の男性のように猫背ではありません。そして身分の高そうな人は上体を比較的起こして立っています。普段のお尻の動作が身分によって違うのかもしれません。
 現代人は言葉を補うものとして身振り手振りをおもに使いますが、昔はお尻の振り方ひとつでいろんなことを表現していたような気がします。
 本日140,000Hitでした。

自分の娘?

 同級生の女性の中にはもう娘さんが高校生になったりしてる人もいるみたいです。鳩子は100%女性ではないので娘を産むことはできません。それでたぶん……
 ときどき自分で自分の娘を演じてるようなところがあるのかも。ミニスカートをはいたり、かわいこぶりっ子したり……?
 「養女募集」なんて書いても応募はありっこないですよね

『和漢奇事変生男子之説』

 幕末のころの本『和漢奇事変生男子之説』というのがあります。"日本初の「両性具有文献集」"という副題で、久米晶文さんという人が作ったものが次のところからpdfファイルをダウンロードできるようになっているのを見つけました。
 変生男子とはからだが女性から男性になった人のことで、その逆の変生女子の話もあります。南方熊楠の「鳥を食うて王になった話」と共通する話も多いです。
 役所へ届け出て名前と性別を変える話は、今の役所ではそんなに簡単に行かないでしょう(※)。月の半分は男性で、半分は女性だった人の話もありました。書いた人は「人間が人間に変るだけ」なので奇妙がることもないと述べています。
※ 11日に北海道苫小牧市の家庭裁判所で、医師の診断書のみで戸籍の男性名から女性名への変更が認められたニュースがありました。

日本の両性具有神

日本の神話のアマテラスオオミカミは男装する女神で、スサノオノミコトは女装する男神という話を9/29に書きましたが、アマテラスオオミカミは男性だとか両性具有だとかいう見方があったそうです。
「明治以前にはアマテラスはさまざまな姿で描かれていた。たとえば『源平盛衰記』では衣冠束帯に身をかためた貴人の男性として出てくるし、室町時代の三十番神図には烏帽子をかぶった狩衣姿で笏をもっている。中世の『日本書紀』注釈書である「中世日本紀」でもたいていは男性神として描かれる。……『日諱貴本紀』では両性具有にもなっている。」(松岡正剛 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0668.html) ちょっと気になったのでメモ。

クラインフェルター症候群

 クラインフェルター症候群というのを初めて知りました。人の性染色体は女はXX型、男はXY型ですが、稀に(1000人に1人とも)XXY型, XXXY型, XXXXY型というX染色体が余計にある人があるそうです。"Y"が含まれるので外見上は男性として本人も気づかずに生活している人もあるとか。"XX"も混じってるので女性的な部分もあるらしいです。染色体を調べないとわかりませんが、外見上の特徴というのが言われています。
 つまり「(a)不妊。(b)思春期に乳房が発達することもある。(c)骨粗鬆症になりやすく、(d)女性の更年期障害に似た症状を呈することもある」など。鳩子は(b)はなかったですし(c)はまだありません。更年期障害は自覚しています。
 そのほか「不完全な男性型体型、運動は苦手」はそうなのですが、「顔面の毛髪の発育の低下」は極端なものではありません。「内気。主体性に欠け、感受性が高く」はそうですが「学習障害、集中力の欠如」は違いました。
 半々くらいですね。でも「1000人に1人」は少なくはないし、気づかずに一生を過ごす人もいるくらいだから、もしかしたら……? 性格に積極性がないので何かデータがあればカムアウトできなくもないかなという感じ。
(「長身」が特徴という説明もありますが一概に言えないという解説もありました。「手足が長い」というのもあって否定する解説は見ませんでしたが、これも同様でしょうね。)
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アルバム3「夏の思い出」アップ3枚では少ないかも

日記

これも詩でしょうか? 古いものを貼り付けます。

あたしとデートのときは、
普段とぜんぜん違う人になってしまう人。
きっとこれがほんとのあなたなんだわ。
でもあたしは普段のあなたがどんな人なのかは何も知らないの。
ただときどき横を向いたときの瞳のなにげない動きから、
ちょっとだけ想像してみたりします。
女の直感はこうやってみがかれてゆくものなのね……。
……なんて日記に書けたりできるような
すてきな出逢いがもしできるなら、
あたしは新しい日記帳を用意して、
そして新しい恋も日記も、
三日で終わらぬよう、お祈りしなくちゃ。

20代から30代

 学生のころの前後は、髪も長く、中性的な服装が多かったです。本当に着たいものは多くは買えませんでしたが、ときどき思い出しては部屋で着て、それで満足でした。
 20代中ごろから、おひげが濃くなるんだと思います。髪が短くなってたので、部屋では前髪をまっすぐ眉が隠れるくらいまで垂らせば、女の子に見えなくもありませんでした。でもだんだんお金も少しできたころで、ウイッグというのを買ったときは本当に感動的でした。それでいろいろ買い揃えました。
 30代中ごろからからだが少しぽっちゃりしてきて、骨や筋が目立たない体形になって、いちばん良かったのかも。もう少し肉がついたほうがいいなんて思って、つきすぎに気づかず、からだの衰えを感じるようになった現在なんでしょうね。

「男が女に変わった話」

欧州の古典の話。ツレシアスという男が、蛇の交わるのを見て、そのメスを殺したら女になった。7年後にまた蛇の交わるのを見て、今度はオスを殺したら男に戻った。
 中国の蜀の時代、都に仕えていた男が美しい女になり、蜀王は見初めて妃にしたが、妃は環境になじめず夭逝したので、王は哀れんで高さ七丈の塚を造って葬った。(『蜀志』)
 インド。パルヴァチの森に入れば男は女になる。
 インドのソランキ王の子は、みな生まれてまもなく死んでしまったが、一人の王女を男子として育てたら健康に育った。成人してある王女と婚約をとりかわしたが、王は素性がばれないか心配になってしまった。王が狩りに出たとき、連れていったメス犬が森の池で水浴びをして、水から出たときはオス犬になっていた。そこでその池で王女を水浴びさせると立派な王子になり、めでたく結婚式を迎えることができた。(『グジャラット民俗誌』)
 仏典。阿那津尊は、美貌の女性のように見えた。悪漢が彼を犯そうとしたとき、男子と知って、悪漢は女に化り変わってしまった。男は恥じ入って深い山に入ったきり戻らなくなり、それを嘆く妻を見て哀れんだ阿那津は、その者を探し出して悔過自責させたら、男に戻った。(『旧羅譬喩経』)
……南方熊楠『鳥を喰うて王になった話』より

ハイヒールの散歩

 今日は各ページの右上に
「Home >> Diary >> 2004年10月」
といったガイド表示兼リンクを表示するようにしました。けっこう時間がかかりました。
 そんなわけで今日は、むかし某Q誌に投稿したメッセージを載せて終り。写真も古いものにしました。最近はハイヒールはあまりはきませんけど。

 「あたしのお出かけする公園では、散歩するのにハイヒールをはいてるのは、あたしくらいのものです。みんなズックで何人かかたまって足早に歩いてます。
 ハイヒールのかかとも、あたしのかかとも、今はとても傷つきやすい状態です。
 ときどきサンダルをはいてる子が見えたと思ったら、あとから男の子が近寄ってきて、恋人どうしみたいです。二人はこのあとどこへ行くのでしょう。
 あたしはため息一つついて、恋人募集のメッセージを書くことにしました。お手紙待ってます。」

ねこちゃんといっしょ

ねこちゃんといっしょ   鳩子  2004/10/05(Tue) 00:24(54)

雨模様のお散歩で
ねこちゃんに逢いました

中世の僧の世界

 室町戦国時代には日本中を旅して歩いた修行僧のような人が多かったらしいですが、なかには色白の美貌の若い僧もいて、宿をとった先で急にからだが異常をきたし、特に下半身が熱を帯びたりとかして……、一晩のうちに女性に成り変わってしまった、という話がいくつかあります。そして僧をやめて女性としてその土地で結婚して普通に暮らすようになったということです。
 女性の半陰陽だったのかもしれません。けれど一般には性同一性が確立されない人たちが生きてゆくための「受け皿」としても、僧侶の世界があったように思えます。男だけの社会だから男色が発達したというのではなくて、そういう人たちを救済する組織としても機能していたのでしょう。女性に成り変わってしまった場合は、俗の生活に戻りますが、そうでない人たちは一生涯、僧で暮らすのでしょう。そんな生活に憧れることもあります。

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