木曽義高のお話

平氏を討つために源氏が立ち上がったころの寿永二年(1183)、源頼朝と木曽義仲の仲が悪くなり、義仲は嫡子の義高を鎌倉へ預けることになりました。義高は当時11歳、頼朝の長女の大姫(6歳)と幼い夫婦となったのです。
 その年、義仲は京に入って平家を追い出しましたが、翌年には頼朝が差し向けた義経らの軍に敗れて近江国で戦死しました。頼朝は、少年の義高の怨みを恐れて殺そうと計画。これを知った大姫は、義高を女姿にさせて鎌倉から逃がしました。大姫の母・北条政子も容認したといいます。しかしすぐに頼朝に察知され、義高は武蔵国入間河原で討ち死にしました。今の埼玉県比企郡嵐山町あたりだともいわれます。

27日にも別の話を書きましたが「日本史エピソード」のページに移動。

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